大地震の時。災害の時。付け込む人。

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311、大地震の時のやり口に…今でも怒りが込み上げる

大変な時。稀に見る大災害で、公共交通機関はストップし

道路も大渋滞、タクシーもつかまらない…

みんなが皆「歩くしかない」ってんで、

帰宅難民と化したあの日。

ミラ子は当時勤めていた会社の研修で

埼玉県某所に来ていた。

その場所には初めて降り立ったのだけど…

件の大地震で…

会社の判断が遅く、しばらく放置された挙句

「なんとか帰ってください。会社には留まらないで」

と放流されてしまった。

自宅までは相当な距離がある。日付が変わるまでに

帰宅するなんて不可能なのに、

当時の会社は…そういう判断を下したんだ。

同じ方面の同僚たちと

足を棒にして歩いた。

コンビニ、スーパー…

オイルショックさながらに

棚はからっぽで。

お昼ご飯に残したおにぎりと

水筒のお茶を飲み飲み

ミラ子達は歩きに歩いた。

さいたま新都心にあった、

海鮮居酒屋(メジャーではない)の前で

「お代はいらない、困った時はお互いさま」

とか何とか声をかけられて

ビニールのかかった屋外の席に通され

ほっと一息ついた女子集団。

でも実際は…飲み物や食べ物のオーダーを

とられたんだ。

他のお客さんもいる、

店内は鮨詰め状態で…

もう歩く気力もなかった皆は

仕方なく一杯ずつ注文をした。

途中で、ミラ子は

ハピ子の親戚と連絡がとれて

居酒屋を抜けることになった。

「一緒に来る?」と誘ったけど

皆はそこで朝を迎えると言った。

自分の分より少し多めにテーブルにお金を置いて

ミラ子がその親戚の家に辿り着いたのは

0時頃。膝は笑って、もう話す気力もなかった─。

数日間は運休などが続いて、

歩いた仲間達全員と顔を合わせるのに

一週間ほどかかった。

うち一人は「災害時にそんな対応をする会社は辞めろ」

と旦那さんに言われて…退職することになったそうな。

なんでも、ミラ子が抜けた後

残ったメンバーは居酒屋内にいた男たちに

しつこく声をかけられたり

送っていくだの、家が近くだの言われて

怖い思いをしたんだって…。

留まるも地獄。歩くも地獄。

そんな一日だった…。

それがオマエらの

やり方か?

昨日の地震、あなたは…大丈夫だった…?

     
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