本当にあった毒親の話(36)交換日記の行方

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単身赴任の父と、コミュニケーション

庭付き一戸建てという昭和ドリームを

叶えた父でしたが

母が狂いだしてから家に寄り付かなくなり

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生活の拠点は遠方へ移していました。

社会に出てから、お金を稼ぐことの

大変さを知りましたが

家庭を持ち扶養する経済力をもつことが

どれだけのことなのか

想像を絶します。

馬車馬のように働いていたのかもしれないけれど

「お仕事」の一言だけでは

寂しさを埋めることは出来ませんでした。

今のようにLINEやメール、スカイプや

テレビ電話もなかったので

アナログなコミュニケーション…

交換日記を交わすことになりました。

大学ノートの左側が父、右側がミラ子で

書いたら部屋に置いておくというものです。

大人の「後で」は、実現されない

父は温泉が大好きで

出張先にも必ず温泉街を選んでいました。

立ち寄り湯をするのが趣味で

休日には私を連れて温泉や銭湯に連れていってくれたものです。

草津のあの風情を見せてあげたいと

常々言っていましたし

私もいつかは父とあの緑色の湯に

入れると思っていました。

母親も、草津にいけば

心がほぐれて

父と仲直りできると

幼い私は考えていたのです。

後で。

便利な言葉ですね。

でも、自分が大人になってみると

「後で」と約束を先延ばしにしたり

反故にしたりするので

父のことを言えないですね。

父との交換日記は、2回ほど書いたら

返事は来なくなり

草津の立ち寄り湯も

実現されることはありませんでした。