本当にあった毒親の話(98)大義名分

ネグレクト、性的虐待、モラ(ミラ子)
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いつでも、とは言ってくれたけど

本当にあった毒親の話は、

ネタバレを利用することで

事のあらましを振り返ることが出来ます。


妹のお墓があるのは、地方都市から少し外れた場所にある

過疎地です。

幼少期を過ごしたその場所には、

母の唯一のママ友が住んでいて

そこに住まいしていた時には

何かと気をかけていただいていました。

引っ越してしまうと、交流は全く

なくなってしまったのですが…

「いつでもまた遊びに来てね」

という社交辞令を真に受けるのが

母でした。

自分都合な人だから他人の都合を考えられなかったのかな

往復ビンタ事件然り、

兄・マサからの執拗な通学班いじめについて

作文を書いた時の対応然り

「変なお母さん」と噂になっていた母のこと…。

中学生だった自分でも、

他所の家を訪問する際に

アポなしで行くことが

どれだけ非常識かは…想像できました。

手土産は持っていたと記憶していますが

「ミラ子がどうしても会いたがっていたから」

とごり押しされるのは不服に思いました。

私は、お墓参りが終わり

そのまま帰ることが出来ればよかったのですから…。

当時、母はPHSを持っていたのに

Aちゃんの家に…当日電話をかけることもしていませんでした。

日帰りの墓参りではあったけれど

連絡ができなかったのであれば

訪問は控えるべきだと私は母に言いました。

でも、母は自分の衝動を止められず…

「娘のため」という大義名分のもと

迷惑な行動をしていました…。

恥ずかしいことです。

本当にイヤだったから、今でも思い出せますね…。

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