本当にあった毒親の話(8)躾という名の…

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モラ、ネグレクトに加え暴力も。加速する母の虐待。

当時、私が住んでいた過疎地ではなく

東京やその他都心部で

女児の連れ去り事件が多発していました。

私が通っていた過疎地は

村民はみんな顔見知り、

保育園で出会った子と中学校まで一緒

人の噂は風よりも早いという塩梅。

両親はその村に知り合いはおらず

なぜ、そこに家を建てたのか謎ですが

おそらく昭和の「庭付き一戸建て

というドリームを実現するにあたり

都会のように隣近所のいない、

田んぼの埋め立て地に安く購入できたのが

そこだったのではないか…と思います。

隣の家までは歩いて2分ほど。

家の中でどんなに騒ごうが周囲には聞こえず

また、家の前はあぜ道なので

偶然通りかかる人もいない。

親戚付き合いも友達も殆どないから

ふいに訪問されることもない。

虐待を行うのには最適な環境だったのでしょうね。

それが田舎の怖さのように思います。

虐めるためなら何でもやる、それが毒親

連れ去り事件というのは、今も昔もあって

ミラ子の小学校時代だけ特別爆発していた、

という訳ではありません。

心配で心配で毎日学校から家までの距離を

車で送迎していたというタイプではなかったのに

(下校は同級生のいつものメンバーで帰ってましたから…)

きまぐれで車を出して迎えにきて

通学路にいなかった、ということだけで

往復ビンタ。

往復ビンタは躾でしょうか?

そこまでする必要があった出来事でしょうか?

往復ビンタ→特大ビンタ。

泣けば罵られ。

下の娘を亡くしたら悲しいけれど

生きた娘のことは、

憎くて仕方ないのだということが

この時の私には分かっていました。

自分は愛されていない、

死ぬのは妹ではなく

自分であるべきだった

と、本気でそう思いました。

     

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